まじり気のない前向きな生き方

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    【10月の教会長メッセージ】

    9月は、報恩会を通して信仰を学び、お彼岸会では救いに向っての心づくりをしました。
    夏の暑さを残しながらも葉色が紅葉し変化して、心も自然と変ってくる10月に会長先生より【自他ともに心楽しい精進を】とご指導を頂きました。


    「樹木が紅葉するように」から、私たちはものごとにいっそう努め、励むときに、努力とか精進という言葉を使いますが、精進というのは、本来、気負って努めることでも、苦しみに耐えながら励むことでもないと思うのです。精進の「精」の字は、米を搗いて白く(精白)することで、そのことから、純一無雑、つまり、まじり気のない前向きな生き方をすることを精進といいます。また、「精」の字には「もと」とか「本来の力」という意味もあります。


    桜の葉が紅葉し、散るといった自然の営みは、すべてが精進のありようを示すお手本といえます。「天地自然の理に随って生きるように」と勤めることが精進であり「八正道」に示される「正精進」。ただ、樹木と違って、私たち人間には自分本位の我が出ることがあり、目の前の現象を素直に受けとれなくなるときがあります。そのとき、心を真理にそわせていく工夫をこらすことが「精進する」ということで、ときに応じた精進のあり方を、釈尊はさまざまに説き示されています。「恥じる」「内省する」「身と言葉を慎む」「過食しない」「真実を守る」「柔和」などの姿勢をとおして、わがままな心を反省したり、懺悔しながら本来の自分に帰るのです。少し言葉を慎むだけで調和が生まれ、柔和に接することで相手の心がほぐれます。腹八分目で体が楽なのは、だれもみな体験していることでしょう。


    また「人の喜ぶことをしよう」「人に親しまれる自分になろう」「自分に恥じない行動をしよう」「人にはやさしく親切にしよう」「絶対に怒らない自分になろう」と日々くり返し、自分に言い聞かせ、仏道を歩む喜びを語る方がいて、本来の自分とは、いうまでもなく仏性にほかなりません。と会長先生はおっしゃいます。
    人と比べるのではなく、その人の精進を観て、本来の姿がみえたとき、自分が精進していると言えるのではないでしょうか?   合掌

     


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